日本ベトナム友好協会大阪府連合会/大阪府連は50周年

友好協会概要 大阪府連は50周年記念の年

09年2月大阪府連総会で採択された50周年の歩みを掲載しました。

総会で採択された文章に段落をつけて、写真を追加しています。

友好協会の設立と関西連合会 

日越友好協会と友好協会大阪準備会が1955年に設立されてから4年後の1959年7月24日、日越友好協会関西連合会が設立された。南ベトナム解放民族戦線の結成からさかのぼること1年5か月であった。今年はこの関西連合会設立から50周年にあたる(66年に京都、兵庫が独立し、関西連合会は大阪府連となる)。
この50年の歴史は、大きく2つの時期に分けられる。ベトナム人民支援運動の先頭に立ち組織拡大が進んだ1970年代末までの第1期と、その後いったん大きな後退を経験しながら、新しい活動形態をきりひらいてきた後半期である。

前半期の活動

府連の最初の重要な活動は、アジア・太平洋戦争の講和条約を当時の日本政府が南ベトナムだけと結んだことに反対し、北ベトナムを含む「全面講和」を要求する活動であった。つづいてアメリカの侵略に対するベトナム解放のたたかいが始まると、府連は、ベトナム人民支援日本委員会(68年には同大阪センター結成、杉原氏が事務局長)に代表される各種の共闘組織の先頭に立って、アメリカのベトナム侵略や日本政府の協力に対する各種の抗議行動、ベトナム代表団の招請・歓迎、ベトナム人民支援募金・カンパ、情勢学習、映画や料理ほか文化に関するつどいなど、創意に満ちた活動をくりひろげた。ベトナム支援船の出航は11次にのぼり、法曹界、マスコミ・放送、学者・研究者、教員、学生、証券や鉄道に代表される労働者など、あらゆる分野に運動は燃えひろがった。74年に関西初のベトナム語講座を開講したことも特筆される。
アメリカの物量戦は、多くの周辺国を巻き込むことなしには成り立たない戦争のやりかたであった。その主要な拠点だった日本列島での、侵略戦争や日米安保に反対しベトナム人民を支援する運動は、アメリカの手を縛るのに大きく貢献した。その先頭に立ったことは、大阪府連が今なお誇るべき歴史である。創立から今日までその活動を支えてきた杉原剛氏、北爆のもとハノイで「ベトナムの声」放送を支援した伊藤幹三郎氏、69年から81年まで理事長をつとめた橋本敦氏など、その時代の大阪府連を代表する「顔」で今日も健在の方はすくなくない。
75年の全土解放、76年の南北正式統一後も、活発な活動がつづけられた。映画「トンニャット・ベトナム」や「愛は17度線をこえて」上映やベトナム歌舞団の公演、チャーター便でのベトナム旅行、など1970年代後半の取り組みは、現在の役員の中心をしめる団塊の世代の会員に、今もつよい印象を残している。国民的なベトナムへの関心の高まりにより、77年には関西初のベトナムに関する専門教育機関として、大阪外大ベトナム語科が設立されている。

後半期の活動

しかし、70年代末から始まった後半期の当初には、革新・民主運動への巻き返し、「ベトナム人民支援は終わった」というムードのひろがりなど日本社会の流れがかわったところに、中越対立とカンボジア紛争、ベトナムからのボートピープルの大量出国などの事態が発生し、協会の活動は停滞を余儀なくされた。83年の枯葉剤被爆影響国際シンポなどあたらしい取り組みがはじまってはいた。しかし、学術界でもマスコミでも、ベトナムに関する本格的な研究や取材が始まってやっと10数年という段階で、この情勢を打開する力はもたなかった。解放10周年の85年ごろ、あたらしくベトナムにかかわろうとする若者は全国的にまれだった。DSCN1362.JPGピースアート展07年
1986年に路線が決定され、80年代末から本格的に進んだベトナムのドイモイ政策のもとで、大阪府連の活動も、大きく刷新された。91年以後、府連からのベトナム留学生があいついで派遣され、鉄道労組など各界の交流も活発化した。94年には日越経済交流センターが発足した。テトのつどい、解放記念のつどいに加えて、独立記念日のつどいも定例化し、連続講座「ダイナミックベトナム」、ベトナムサロンなどの催しも開始されて、「毎月必ず行事がある」という体制が定着した。
大阪府連の誇る多彩なベトナム旅行だけでなく、90年代後半からベトナム人留学生が急増したことも、交流の多様化を助けた。総領事館が大阪に開設され、「小学校を贈る会」がディエンビエン小学校の校舎建設支援に取り組んだ97年は、こうした府連の新しい活動の、ひとつの到達点だった。
DSCN2767.JPGタインホアのディエンビエン小学校
21世紀に入り、ディエンビエン小中学校との交流の拡大、鉄道支部の発足(2001年)、NPO・Vハートの発足(2002年)、吹田アジアンフェアほか自治体交流への参画、ピースアート展の開催(2006年から)等々、新たな動きがつづいている。料理の会のレベルアップもめざましい。ホームページは2008年に急速に充実して、アクセス数を急増させた。「いつまでもベトナム戦争の思い出話ばかり」でも「料理や旅行を楽しむだけ」でもない、広く深い大阪府連の活動は、全国の友好協会を代表するレベルにある。P1000876.JPGアジアンフェアー府連の店08年
しかし残念ながら、それでも会員数は横ばいが続いている。料理や登山などであたらしい常連が生まれているものの、役員はほとんど男性ばかりでしかも高齢化が進んでいる。旅行者の急増など日本のベトナムブームや、日越関係の拡大のペースとくらべれば、友好協会の活動のひろがりはあまりに遅れているというあせりもある。
これまでの友好協会の組織や財政のありかたには明らかに、現在の社会状況に合わない部分があり、本部でも規約改正の検討などがおこなわれている。大阪府連の活動形態についても、語学講座や各種イベントの参加者、若手会員などを協会運営に参加させる方法、より広い層への働きかけなど、本部と他の地方組織に学ぶ点がある。ベトナム人研修生問題のようなあたらしい課題もある。

次への展望

 これから始まる「第3期」に運動を維持・拡大していくためにも、平和と友好の基本精神に立ち、50年の歴史のなかでつくられたさまざまな財産をふまえながら、大胆な「ドイモイ」を進めていくことが求められている。

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